事務所について

所長室だより

所長伊藤拓の雑感

秋の七草

春の七草は有名でよく耳にしますが、秋にも七草があります。
秋の七草は、萩 桔梗 葛 藤袴 女郎花 尾花(ススキ) 撫子、で草というより花と
言えます。覚え方は、「お好きな服は」という語呂合わせ。 春の七草は、縁起を祝うために七草粥にして食べますが、秋の七草は咲き誇る花の美しさを愛でるためのもので、風情を感じます。
調べてみると、万葉集で山上憶良が詠んだ二首の歌がその由来。
 秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七草の花
 萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花また藤袴、朝顔の花
出所が万葉集の歌から選ばれているなんて言うのは、日本らしさですね。
平成29年9月29日

中秋の名月

十五夜と団子・・十五夜では、これからの収穫を祈り、十三夜ではその年の収穫に感謝して、米粉で作った団子を供えたのが月見団子の始まりと言われています。
本来、月見団子とは「真っ白な白玉団子」で、月は霊力を持った真珠のようなものと信じられていたことに由来するとか。
そのお供え物を頂くことで、月の力を自分にも分けてもらい、健康と幸せを得ることができると信じられていたようです。
十五夜とウサギ・・十五夜とウサギには、次のような言い伝えがあるそうです。
昔、あるところにウサギとキツネとサルが暮らしていました。
ある日、三匹は疲れ果てた老人に出会いました。その老人は空腹で動けず、何か食べ物を恵んでくれと言い、三匹は老人のために食べ物を探しに出かけました。
キツネとサルは食べ物を持ってきましたが、ウサギは何も持ってくることができませんでした。そこで、ウサギはもう一度探しに行くので、火を焚いて待ってて欲しいと言って出かけました。
しかし、ウサギはまた食べ物を持ってくることができず、火を焚いて待っていたキツネとサルは、ウサギを嘘つきだとなじりました。
するとウサギは、「私は食べ物をとる力がありません。どうぞ私を食べてください。」といって火の中に飛び込み、自分の身を老人に捧げました。
この老人、実は帝釈天で、このウサギを憐れみ、その清らかな魂を誰しも見ることができるようにと月の中に写し、蘇らせたとさ。
平成29年9月20日

簡単に加入できる国民健康保険

現在の国民健康保険の加入制度は、日本国内に住所があり職場の健康保険の適用を受けない自営業者や会社を退職した人が加入する制度です。
しかし、外国人も国民健康保険に加入できる要件が、民主党政権下で住民基本台帳法の一部が改正され、2012年から加入のハードルが大幅に下がりました。
改正前は、1年以上の在留資格がある、または客観的資料で1年以上日本に滞在すると認められるという要件が、改正後は、3カ月以上の在留資格がある、または客観的資料で3カ月以上日本に滞在すると認められる、となりました。
その結果、留学ビザや経営管理ビザ、就労ビザ、特定活動ビザなどで原則3カ月以上の日本滞在資格を有する外国人は、国民健康保険に加入する義務を有することとなりました。たった、3カ月しか滞在しない外国人にも、我々の血税が基礎となる「日本人のための保険」が同等に使えるということになってしまいました。国民ファーストであるこの制度が、外国人ファーストになってしまい、この改正を悪用する外国人が後を絶たなくなりました。
平成29年8月10日

相撲

名古屋で大相撲夏場所が開催されています。
わずか数秒で勝負つくのに、何で何度も仕切りをするのかと思っていたのが、若い頃の私です。とは言え巨人、大鵬、卵焼きの世代ですので、大鵬、柏戸以降スポーツ紙に乗る力士の名前ぐらいは知っている程度でしたが、思えば例の八百長事件以降、相撲を見、知り、面白いと思うようになりました。
相撲となれば、古事記繋がりを書けますが、今回は別角度で。
今気にして見ているのは、力士が土俵に上がり行事が軍配を返すまでの所作。その中でも四股を踏んだ時の上がった足の角度と、塩のまき方。
自分で四股を踏めばすぐ判ることですが、真っすぐ高く足を上げるというとは、中々できるものではなく綺麗に上がった姿は美しい。
そして十両以上の力士しかできない塩まき。1日に使用する塩は約45キロとのこと。そもそも塩をまくのは、邪気を祓い神聖な土俵を清め、さらには自身を清め怪我の無いようにと願うものです。相撲上の所作である塩の撒き方で、その力士の姿勢が見える気がします。
ほかにも所作がありますが、所作のしっかりした力士が強い力士と私は思っています。
今夏場所、多かった話題の一つ二つが消えましたが、それにもまして若手力士、郷土力士の気迫、活躍が新鮮です。
平成29年8月2日

黒船来航

164年前の7月14日は、ペリー提督が、時の将軍に国書を手渡すため四隻の黒船艦隊を組み、東京湾の浦賀沖に現れた日です。
蒸気船をお茶の銘柄・上喜撰にかけて「太平の 眠りを覚ます上喜撰 たった4杯で夜も眠れず」と、狂歌に詠まれるほどの大混乱だったようです。
幕府はペリーの再来に備え、品川沖に六基の砲台(台場)を作ったものの、翌年「日米和親条約」を結び、日本の鎖国が終わりました。
極めて文化的で平和で平等で、かつ安全な、世界に類のない知的レベルの高い日本を、米(ペリー)は「開国」と叫び、世界の腹黒い流れに引き込みました。
以後、日清・日露・大東亜戦争に至る「日本の100年戦争」の幕が開いた日、といえるのではないでしょうか。
平成29年7月21日

盧溝橋事件

昭和12年の7月7日、北京西南にある盧溝橋で日本の陸軍と支那国民党軍との衝突事件が起きました。
「この事件が支那事変のきかっけとなった」と言われています。が一部では日中戦争とも言っています。
しかし、日本は支那における戦いを「支那事変」と正式に命名しています。
事変と戦争の違いを見てみますと、
「事変」は、警察力で鎮めることができない規模の事件や騒動。
「戦争」は、国家が自己の目的を達成するため兵力によって行う国家間闘争。
となっています。
昭和12年当時、支那には日本が支援する南京政府、米英が支援する国民党政府、ソ連がバックにいる共産党政府のほか、各地に自治政府が混在し正式に国際社会で認められた公式な政府はなく、統一国家の体をなしていませんでした。
義和団事件後の明治34年の北京議定書による国際協調のもと、派兵していた日本軍に、西安事件で抗日に寝返った蒋介石の国民党軍がいきなり発砲し、戦闘状態になったものです。しかし、すぐに停戦協定が結ばれましたが、日本と国民党軍を戦わせ、漁夫の利を得ようとする支那共産党軍は、次々と日本に対し挑発行為を行います。
7月13日 大紅門事件
日本軍トラックを爆破
7月26日 廊防事件
軍用電線修理に向かう日本軍への発砲
7月27日 広安門事件
事前了承を得広公安門を通過しようとした日本軍を襲撃
7月29日 通州事件
敗走する国民党軍が、通州で日本居留民と日本軍守備隊員を惨殺
8月13日 
大山中尉惨殺事件
第二次上海事変
この年の12月、松井岩根大将に追い詰められた国民党軍は南京から逃亡。
七夕と同じ日、歴史を振り返ってみました。
平成29年7月13日

私だけでしょうか?
テレビでの食事場面や外食先での人様の箸の持ち方が気になるのは。
「人のどんなところにがっかりしますか?」という問いに、「収入や学歴」よりも「箸を正しく持てない人」という答えが、圧倒的に多いとのこと。
確かに、紳士然とした人でも絶世の美女でも、箸の持ち方が不自然な人を見ると、食材が美味しく見えず、箸の持ち方大丈夫と、興醒めをしてしまいます。
箸の持ち方を意識することは普段少ないかもしれませんが、日本人なら心の奥底に「文化」として継承されてきたはずです。
そもそも正しい持ち方のできない親から子への躾は無理であり、さらに洋食化による洋食器の使用による箸離れもあるかと思いますが、箸を美しく持ち、箸の使い方のマナー守り、食卓を囲みたいと思います。
蛇足ですが、最近は、箸だけではなく鉛筆などの筆記具の持ち方も気になります。
平成29年6月27日

海軍つながりでマルタ島

G7で欧州訪問の際安倍首相は、皇太子であった昭和天皇がご親拝されたマルタ島の帝国海軍墓地をお参りされた。
なぜこの地、地中海のマルタ島の英海軍墓地の一隅に「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」があり参拝されたのか。
第一次世界大戦中、ドイツの潜水艦Uボートが地中海で無差別攻撃を決行したため、連合国の兵員輸送船の被害が激増するという状況下、そこで英国は、日英同盟国・日本に現地への派遣を要請した。
輸送船護衛と救助活動の要請を受けた日本は、巡洋艦明石と駆逐艦八隻からなる「第二特務艦隊」を派遣した。
100年前の大正6年(1917年)魚雷攻撃を受けた兵員輸送船の救援に駆けつけて、敵潜水艦と交戦しつつ約1800人の乗務員を救助。
翌大正7年には、魚雷攻撃を受け自力航行できなくなった英国船を、三日にわたる交戦の中、同船をマルタ島に曳航した。
数々の献身的な活動により、帝国海軍は大きな信頼を得、英国では「地中海の守護神」と称えられた。しかし、駆逐艦「榊」が敵潜水艦Uボートの魚雷を受け59名が犠牲となり、最終的には78名が戦死している。
この第二特務艦隊の栄誉と勇敢さが称えられ、大正7年カルラーラの丘に大理石の墓碑「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」が建立されました。
平成29年6月19日

自衛隊

昨今、話題になっている自衛隊。
戦前には、陸軍記念日が3月10日、海軍記念日が5月27日となっていました。
両記念日の由来は、陸軍記念日が、日露戦争での日本海海戦の前哨戦ともいえる奉天会戦で勝利した3月10日。
海軍記念日が、明治38年(1905年)5月27日、日露戦争の総仕上げとなる日本海海戦。対馬沖で、ロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、東郷平八郎の判断の正確さで日本海軍の勝利を確実にしたのを記念し、翌年両軍の記念日が制定されました。
その後、終戦の年である昭和20年まで祝日として祝ったものの、大東亜戦争に敗れ、
連合国の占領下に置かれるや否やこの日を祝うことを禁じられ、昭和21年(1946年)に廃止となりました。
ちなみに、日本には空軍はなく、そもそも空中戦をするという戦術がなく、軍の偵察部隊として、陸海軍にそれぞれ航空本部があったという状況。
陸軍・海軍記念日は復活することなく、昭和41年(1966年)に自衛隊の創立に基づき11月1日を「自衛隊記念日」として制定され、現在に至っています。
付記として、大東亜戦争時米軍は幾度となく日本全土を空襲したが、その最大規模はB-29を300機以上投入し、民間人10万人以上を虐殺したのが東京大空襲で、
3月10日でした。
平成29年6月9日

百姓

現在、「百姓」という言葉を聞くと、多くの人は「農業に従事する人」と理解している。
「百姓=農民」という意味で浸透しだしたのは、江戸時代後半から明治時代にかけてのことのようで、江戸時代での士農工商は職業を区別したもので、教えられたような身分制度ではなかった。
百姓の語源は全く現在とかけ離れたものであり、もともとは「百人の姓を持つ者たち」。
「百」は「たくさん」を意味するので、字のとおり「たくさんの名字の人たち」あるいは「いろいろな仕事をする人たち」を表わす言葉として、古代より使われてきたものです。人民を大切にという大きな意味があり、日本では古来より「百姓」を「大御宝」と呼んでいました。
「日本国民が宝である」というのが我が国の歴史であり、国体を意味しているからでしょう。
平成29年5月24日

五月晴れと五月雨

五月の良い天気の日を「五月晴れ~」と、現在では世間一般に違和感なく受け入れられていますが、正しくは、五月は旧暦の呼称で現在の六月、梅雨の時期にあたり「梅雨の合間の晴れ間」を言うとのこと。同様の使い方をしているのが「小春日和」。
ということは、「五月雨」は五月の雨、必然的に「梅雨」を表し、永く絶え間なく降り続く雨となる。よって「五月雨式に、なになに・・」とは、物事が断続的に続くことのたとえに使われることに。
  松尾芭蕉  五月雨を あつめて速し 最上川
なるほど、理にかなっています。
平成29年5月16日

縦書きか 横書きか

興味を引いた新聞記事です。
「縦書き言葉は、言葉と一緒に視線を下ろし、一番下まで来たら一気に視線を上げる。 横書きの言葉は、左から視線を右へと動かす。そして、横書きの文は、分のはじめを見たときすでに視線の端で、その文末を意識してしまう。 例えば街中を歩いているときでも、左右にあるものは何となく気配を感じ取ることができるが、足元にあるものについては、左右のものほど敏感にならない。 ということで、横書きの文、文字は目に飛び込みやすいので標識やポスターに使われているといえるかもしれない。ところが、縦書きの文・文字は、文・文字を追おうという意思があってこそ、頭に入ってくるのではないだろうか。」
少し割愛しましたが、依然読んだ本には、横書きの文を読むときは顔を左右に動かし、あたかもいやいやと拒否しているよう、一方縦書きの文を読むときは、顔を上下に動かし解った、解ったと頷くようだ、と書いてあった記憶がよみがえりました。
大事な文書、手紙あるいは年賀状など、殆どが縦書きであり、日本語のすばらしさを改めて実感した次第です。
平成29年5月8日

3月26日と6月23日

3月26日は、栗林忠道陸軍中将率いる硫黄島守備隊が玉砕し、米軍の星条旗が擂鉢山に掲げられ、日本の領土が初めて占領された日です。
同じ3月26日、連合国の大軍が沖縄慶良間諸島に上陸、これを迎え撃つ日本陸軍牛島満中将・海軍太田実少将により、沖縄戦が開始された日でもあります。
4月6日には、有賀艦長率いる戦艦大和が、沖縄の浅瀬に乗り上げ、射程距離40キロを超える46インチの巨砲を、陸上砲台とすべく作戦のもと、沖縄へ向け出撃。
しかし翌4月7日、鹿児島大隅半島を過ぎた坊が岬において、敵航空機380機以上 さらに艦船からの魚雷の猛攻により、午後2時過ぎ乗組員3000人以上とともに撃沈されてしまいました。
6月23日 陸軍牛島中将 海軍太田少将自決により沖縄戦終結。
 「沖縄県民かく戦えり 県民に対し 後世特別のご高配を」
 「矢弾尽き 天地染めても 散るとても 魂還り 魂還りつつ 皇国護らん」
平成29年3月21日

ブルーインパルス

3月5日、小牧市にある航空自衛隊小牧基地において、「小牧基地オープンベース」が開催されました。
基地所属機によるオープニングフライトを始まりに、 災害派遣デモストレーションでは航空偵察、捜索・救助活動、大型ヘリコプターによる消火活動が披露され、普段見ることのできない自衛隊の災害派遣能力を、目の当たりに確認することができます。
航空自衛隊広報のため、航空祭や国民的な行事等で、青と白にカラーリングされた6機が華麗なアクロバット飛行を披露する専門チームが、お目当ての宮城県松島基地所属の「第11飛行隊」のブルーインパルス。
大空で展開される一糸乱れぬフォーメーション、 次々に繰り広げられるパーフォーマンスに感動と歓喜の声が広がります。
自衛隊の活動には、賛否両論、異論がありますが、国を国民を守る防人に感謝の意を表し、声援を送ってもいいのではないでしょうか。
平成29年3月13日

冬の稲妻

雷は夏の風物とはいうものの、冬にも雷は起きます。特に能登から東北の日本海では、シベリアから吹き込んでくる猛烈な寒気が、日本海上で水分をたっぷり含み、灰色の海を覆う分厚い雲の中に雷の芽があります。ちなみに「鱩」。魚と雷で「ハタハタ」。
特に秋田地方では、この魚が産卵のため大挙して岸に押し寄せるころ、雷の轟くことが多く「雷魚」とも呼んでいるとか。
雷とは神鳴りであり、神の声が鳴り響いている状態といいます。そして轟音、稲光とともに大量の雨を降らし、雷神は田んぼに落ちて稲と交わる。
雷神が稲を妻にすることとなり、それゆえ稲光は「稲妻」と呼ばれるとのこと。
稲は太陽神と雷神からパワーを受け、霊力を宿った実を結ぶ。
人間はこの実を食し、霊力を体に取り込み力が出るのである。
平成29年2月27日

氷雪の門

南樺太は、日露戦争後のポーツマス条約により日本の領土となり、多くの日本人が住むようになりました。その後大東亜戦争に至り、内地から樺太に疎開してきた人もいましたが、戦争中とはいえ、内地に比べのんびりした状態だったそうです。
そこへ1945年8月9日、米国が長崎に原子爆弾を投下する前に「日ソ不可侵条約」を破棄し、突如ソ連軍が樺太に侵攻してきました。
その樺太の真岡という町の郵便局に勤める9名の若き電話交換手が、業務遂行後ソ連兵の蛮行から逃れるため、モルヒネにより集団自決した最期を描いたのが「氷雪の門」。
稚内公園に、「九人の乙女の慰霊の像」があります。
慰霊とともに、北方領土問題も考えてみたいと思います。
平成29年2月21日

カカオの歴史

バレンタインデーに関して、カカオを取り上げてみました。
チョコレートの主原料であるカカオの歴史は、紀元前2000年頃まで遡るとのこと。
その栽培は、マヤ、アステカ文明が栄えたメソアメリカと呼ばれたメキシコ南部の地域で始まり、カカオは神への捧げ物や薬、交易品、通貨として用いるほど貴重な農産物だったようです。一部の高貴な人の嗜好品を、1500年代アステカ帝国を征服したスペイン人がヨーロッパに飲み物として広げました。
1800年代オランダ人がカカオの油分を減らすことに成功し、さらに飲みやすくなっていきます。飲み物であったカカオは、同じ1800年代英国人により初めて「食べるチョコレート」になったとあります。
日本がチョコレートを知ったのは、1858年ヨーロッパに派遣された使節団のチョコレート工場の見学だったそうです。
左党の私ですが甘党でもあります、今年はどんなチョコを賞味できるでしょうか?
平成29年2月10日

除夜の鐘

12月31日の深夜零時を迎えるころ、お寺の梵鐘が響き始めると、いよいよ今年が終わると実感します。
古いものを捨て、新しいものを迎える意味の「除」。
まさに去りゆく年の幕切れと、新しい年の幕開けとなる大晦日の夜撞かれる「除夜の鐘」。
除夜の鐘は多くのお寺で108回撞かれますが、108回という数の由来は、諸説あるようですが一般には次の三つが有名とか。
 1 前世・今世・来世にまたがる人間の煩悩の数をいう
 2 1年間を表す、月数+二十四節気+七十二候の合計
 3 四苦八苦を取り払う 4×9+8×9
穏やかに新年が迎えられるよう、年末の準備をしたいと思います。
平成28年12月27日

今の住宅観

私事ですが、今般先祖より受け継いできた100坪ほどの土地を売ることになりました。
当市には、昭和40年代に入居が始まった大規模ニュータウンがありますが、今は高齢者が殆どで活気がありません。その後できた近隣の○○が丘などという新興住宅地もこのニュータウンと同じ状況になるのではないでしょうか。
そんな思いから、当方としては手放す土地に、出来れば一軒家を建て町内に馴染み、永く住んでほしいという希望がありました。
しかし不動産業者いわく、今どきの購入者は核家族が殆どで、子供たちが成長し家を出るまでの間居住でき、夫婦二人になった老後は土地家屋を処分し、小さなマンションに住むという生活設計を持っており、土地は30坪ほどで、車二台の駐車スペース、草取りするよう庭ではなく、小さな花壇があれば十分とのこと。
よって、一軒家を建てる人を探すより、建売業者を売却相手に考えたほうが現実的であると。
私の生活観や価値観とかけ離れているものの、成る程そういうものなのかと、納得した次第です。
平成28年12月20日

忠臣蔵

少なくなったとはいえ、師走になると赤穂浪士の討ち入り、忠臣蔵(赤穂事件)が取り上げられますが、事の起こりあらすじは、みなさんすでにご存知のことと思います。
今回取り上げたのは、この「赤穂事件」が徳川幕府の謀という記事を目にし、興味がわき調べてみたものです。
吉良家は源氏の流れをくむ名門で、同じく源氏の名門であった足利義氏が三河の守護職になった際、吉良庄の地頭職を兼ね、その後吉良姓を名乗ったのが始まりで、朝廷に仕える高家の地位を得ていきます。
この吉良庄は、矢作川の昔の主流であった矢作古川の下流域で、矢作川が運んでくる土砂により、河口部に広がった干潟で塩田と干拓を繰り返す豊かな領地であったとのこと。
一方徳川家の家康は、桶狭間の戦いの後岡崎城に入り、吉良家と領地を接することとなります。
吉良家を支える矢作川の水、上流にある岡崎城の家康はこの水を自由に取水することができませんでした。ところが、関ヶ原の戦いで家康が天下人となり、吉良家の働きで朝廷より征夷大将軍に任命されたことで、両家の関係に変化が現れます。
吉良家は、武家と朝廷の唯一絶対の調整役の高家で、征夷大将軍の任命は吉良家の進言次第という、徳川家存続のために絶対必要という状況でした。
ところが征夷大将軍となった家康は、高家吉良家に頼ることなく征夷大将軍の徳川世襲制を望みます。そこで、天皇家との外戚を目的に家康の内孫である徳川和子を入内させまたは矢作川の流れを変え吉良家の力を削ぐ等苦慮していた折に起きたのが、浅野内匠頭と吉良上野介による刃傷沙汰事件。
討ち入り後は、刃傷沙汰事件を利用し、吉良家を潰すため徳川幕府が積極的な関与、援助があったのではないかと思われる点が多々あるとのこと。
① 討ち入り不可能な江戸城郭内の北町奉行所近くにある吉良邸から、両国橋を
越えた討ち入りしやすい人通りの少ない本所への移転命令
② 江戸に潜んでいた赤穂浪士のうち16人が、幕府の重点警備地域である
麹町あたりにいたこと
③ 浅野内匠頭以下すべての浪士が、家康が建てた徳川家の寺である泉岳寺に
葬られた
④ 討ち入り後泉岳寺への道中、東海道の高輪の関所ともいえる大木戸を通って
いる
⑤ 後に赤穂浪士の遺児は、罪を解かれ諸藩に迎えられた
⑥ 対して、吉良家は血筋が途絶えた
忠臣の誉れとされる忠臣蔵ですが、城内で切り付けた浅野内匠頭は明らかに非のある加害者であり、浅野内匠頭に切腹を命じたのは徳川幕府。
仇討の相手は切腹を命じた幕府のはず、それを切り付けられた被害者の吉良上野介を悪者扱いにし、これを仇討として称するのはいかがなものかと。
諸説の一つでありますが、歴史を多角的に見る面白さを知った次第です。
蛇足になりますが、赤穂の「塩」に吉良の「塩」、両家に「塩」が関っているのも何かの因縁でしょうか。
平成28年12月14日

社内に掲示

社内をぐるーっと見渡すと、社訓・売り上げ目標・安全運転等の標語など色々なものが掲示されていることと思います、
そんな掲示物の中に、労務管理に関する掲示物をあまり目にすることがありません。
特に労使協定に関しては、協定締結の際従業員に説明がなされており、掲示の必要なしと思われるかもしれませんが、協定書の周知という面から、会社としては掲示することが重要になります。
労務管理上、是非掲示する必要がある協定書は、次のとおりです。
○ 賃金から法定控除以外のものを控除する場合の協定書
○ 1年単位の変形労働時間制の労使協定
○ 時間外・休日労働に関する協定書(36協定)
○ 年次有給休暇の計画的付与に関する協定書
○ 育児・介護休業ができない者の範囲に関する協定書
さらに、個人情報保護に関する指針等を掲示することが望まれます。
平成28年8月19日

元号

天皇陛下の「生前退位」が話題になっていますが、同時に元号の変更が注目されています。
元号とは、特定の年代につけられた称号で、日本では飛鳥時代に初めて元号が使われるようになったと言われています。「大化」(645年)という元号が最初に使われその後、長い歴史の中で数多くの元号が生まれ、「平成」に至っています。
現在のように、元号は皇位の継承があった場合に限り改めるとなったのは、1868年の慶応を明治元年に改元した際、天皇一人に一つの元号(一世一元の制)と決められ、以後、皇位継承の際改元され、明治・大正・昭和・平成と続くこととなります。
明治以前は、決まりがなく、天変地異あるいは人心を乱す騒乱が起こった時に、恐らく厄払いや心機一転という理由で改元され続け、「大化」以降247の元号が、それぞれの時代を物語っているといえるのではないでしょうか。
現在日常生活で、世界共通であり便利な西暦を用いていますが、これはキリストが生まれたとされる年を起源とするキリスト歴です。
世界でただ一国、元号「平成」を用い、さらに2676年という我が国の歴史の長さを理解できる皇紀がある日本、便利より意義あるほうを重用したいと思います。
平成28年8月12日

オリンピックはじまる

日本選手のリオオリンピック・パラリンピックでの活躍に、一喜一憂の日々がやってきます。日本選手のユニフォームの日の丸が 鮮やかに見えるのは私だけでしょうか?
そんな中 改めて明治天皇の玄孫にあたる 竹田恒泰氏の私見を思い出しました。
① メダルを噛むな、品がない上にメダルを屈辱する事になる
② 君が代は聞く、口ずさむのではなく、歌うものである
国家を歌えないのは国際人として恥ずかしい。
日本には国歌斉唱時に胸に手をあてる文化はない、直立不動であるべし
③ 国費を使って選手を送り出しており、選手個人の思い出づくりではない
④ 日の丸を背負った自覚をもって、立派に振る舞って欲しい
⑤ 負けた選手は思い出になったとか、楽しかったなどという有り得ない言い訳をせず ただ悔しい気持ちを語って欲しい
メダルを得た人も 得られなかった人も この日のため弛まぬ努力をしてきたはず 「頑張りを見せてくれてありがとう お疲れ様」と言ってあげたいと思います。
平成28年8月10日

君が代

10世紀の初頭 平安初期の「古今和歌集」に「詠み人知らず」として採録されたのが「君が代」。
16世紀後半のオランダ国歌「ウイルヘルム」が、国家として最も古いとされていますが 「君が代」は「歌詞」としてオランダ国歌よりもさらに古く、世界最古。
世界の国の国歌の歌詞は、と思い見てみました。
オランダ
父なる神よ 奴らの邪悪な企みを許すな 私のこの無実の血で 奴らの手が染まることのないように
アメリカ
危険極まりない戦闘の最中にも 我らが死守する砦の上 星条旗は雄々しく翻っているだろうか・・・
中国
奴隷となりたくない人々よ 我らの血と肉をもって築こう 我らの新しき長城を 中華民族 一人一人が最後の鬨の声をあげる時だ・・・
ポルトガル
武器を取れ 武器を取れ 大地に大海に 祖国のために戦わん 大砲に向かって進め 進め
ロシア
ロシア 我が聖なる帝国 ロシア 最愛の祖国 強大な意思の力 偉大なる栄光 常しえに誉れ高くあらん
イギリス
神よ我らが慈悲深き 女王陛下を守りたまえ 我らが高貴なる女王陛下の永らえんことを 我らが女王陛下を守りたまえ・・・
ざっと見てみても どの国も国家成立の歴史・背景があり 「血だ」「戦え」と歌えど戦争の象徴だとか 軍国主義だとか 皇室の歌だなどという声は聞こえず スポーツでの表彰台では 選手たちは胸に手を当て、大きく口をあけ誇らしげに歌っている姿を目にする。
平成28年6月17日

ミッドウエー海戦

  真珠湾攻撃により開戦した大東亜戦争 開戦後半年まで連戦連勝の日本軍。その日本軍連勝の歯車が狂うこととなったのが 昭和17年6月5日のミッドウエー開戦といわれています。
 2か月前の昭和17年4月 日本に一撃を与えるため 空母ホーネットを飛び立った米爆撃機16機が 東京、名古屋を爆撃。日本海軍は米海軍からの本土爆撃を防ぐためと 真珠湾攻撃時に残存した米艦隊壊滅のため 6月5日米海軍の中継基地であるミッドウエーを攻撃。
 戦力で上回っていた日本軍であったが すでに日本軍の暗号を解読し情報戦を制していた米軍は 日本海軍機動部隊主力艦4隻 零戦約300機とともに優秀なパイロットを葬った。
 さらに 同時決行されたアリューシャン攻略作戦において 空母から飛び立ったゼロ戦が被弾しアクタン島に胴体着陸 この零戦が米軍に回収され徹底的に調べ上げられ 徐々に無敵零銭神話が崩れていくことに。
 開戦6カ月後の6月は ミッドウエー海戦とアクタン零が大東亜戦争の分岐点となった。
平成28年6月9日

清潔好きの日本人

黄泉の国から戻ったイザナギは 穢れた世界に踏み込んでしまったので 祓い清めなければならないと 海に入って禊ぎをしたと神話が伝えています。
この「穢れ」「祓い」「清め」「禊ぎ」が 日本人の根底に流れる感覚と言えます。
仏教が風呂の文化を伝える以前から 日本人が「身を清める」ことを重んじていたことがわかります。
今でも 神社参拝の前には 海や川に入り全身を清める代わりに 手水舎で手 口を清めます。力士が取組の前 力水で口をすすぎ 土俵に塩をまくのも神聖な場所のお清め。また 葬儀から帰れば塩を体に振り掛け清めます。
日本人が穢れを嫌ったのは 穢れは「気が枯れる」「気力の喪失」につながるため 常にこざっぱりと垢抜け 魅力的でいたかったとも言えます
平成28年5月6日

サンフランシスコ条約

4月28日は 第二次世界大戦の終結のため 米をはじめとする連合国諸国と日本との平和条約が発効 公布され 日本の主権が回復した日。
ただし 連合諸国52カ国のうちインド ビルマ ユーゴスラビアが不参加。
樹立していた中華人民共和国は連合国の一員に非ず 連合国の一員であった中華民国は 台湾へ逃れた亡命政権となっており どちらを代表とするかに米英の思惑が絡み招請されず。
露は 中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を主張。
韓国は 参加を希望するも連合国の一員に非ず 連合諸国より拒否される。その後突如 李承晩ラインを宣言する。
49カ国と平和条約が締結されたものの 一番問題となる3か国とはその後紆余曲折を経て 日ソ共同宣言 日韓基本条約 日中共同声明を交わすこととなった。
7年半に及ぶ連合国の占領国日本への政策は 良し悪しを含め緒論あれど 独立国家の意味を 今一度考えなければいけないのではないでしょうか。
平成28年4月28日

地震国

熊本地震で被災された方々には こころよりお見舞いを申し上げます。
地震国日本 神話によればイザナギの命とイザナミの命が 雨の浮橋に立ち天沼矛で海原をコオロ コオロとかき混ぜると その滴がオノコロ島となり さらに大八島の国生みをし 日本の礎となったとあります。
神話は神話で事実ではないといいますが 二神様がユーラシア大陸の最東端 しかも海で隔てられ ユーラシアプレート 北アメリカプレート 太平洋プレート フィリピン海プレートの四プレートが入り組むという位置に 僅か世界の面積の1%にも満たない島に 世界で起こる地震の約10%大八島を 何故作ってしまったのかと思わざるを得ません。
しかし ユーラシア大陸側から見た日本列島は「心」と読め 地震等の天災が日本人と自然災害との繋がりを自覚させ 「心」ある秩序と規律が守られていると言えるのではないでしょうか。
平成28年4月22日

年末からのお祭り騒ぎ

ハロウインに始まり ボジョレヌーボー クリスマス バレンタインと続く。
逞しい商魂に踊らされているのか 寛容な日本人だからなのか 本来の目的に無理解なお祭り騒ぎに 一言。
ハロウイン・・・仮装行列をする前に 勤労感謝の日と呼ばれている日本の収穫祭
「新嘗祭」の意味を知るべきであり カボチャを考えるなら 理に
適う冬至の日に食すればよい
ボージョレヌーボー・・・たかがワインの新酒に大騒ぎの日本人
クリスマス・・・天孫降臨・西暦の意味も知らず イエスキリストの誕生日(降誕)
を祝い クリスマスプレゼントまでとは
バレンタイン・・・愛の告白とともにチョコレートを贈るという 日本独自の行事
商魂はさらにたくましく お返しのホワイトデーを企画
愚痴愚痴と言いましたが かくいう私も若かりし頃 楽しみにしていたり お世話に
なった行事であったことは否めません。
あまりに知らなさすぎるのもどうだろう 日本人として為すべきを為し 知っておくべきことを知ったうえで それぞれの行事の意味を理解してのお祭り騒ぎであってほしいと思います。
平成28年2月17日

痛い目

毎日のように 老若男女の惨い殺人事件が報道されます。
特に若年者 幼児が関わる事件には 惨さとともに悲しみを覚え記事から目をそむけてしまいます。
「痛い目に合わせるぞ」とは やくざの十八番言葉。しかし「命をとるぞ」とは違い
手加減を感じます。
昨今の事件は「痛い目」と無縁で「殺人」としか思えません。
加害者は 何かと言えばむしゃくしゃして 人を殺してみたかった 誰でもよかった 人を殺して死刑になりたかった などなど到底理由にならない言い訳ばかり。
全く非の無い被害者の人権より 事件を起こした加害者の人生や生活環境を擁護する報道機関 挙句の果てには薬物中毒や精神鑑定で 責任能力なしとは。
「何でこんな世になってしまったのか」「この先日本は大丈夫だろうか」と思わずにはいられません。
平成28年2月9日

ゼロ戦が飛んだ

平成28年1月27日 鹿児島の鹿屋航空基地を発進し「ゼロ戦」が空に舞いました。
このゼロ戦は、ソロモン海戦中に撃墜されたとみられる機体で 1970年代にパプアニューギニアのジャングルで発見された「ゼロ戦22型」。
「ゼロ戦里帰りプロジェクト」が ゼロ戦の生まれ故郷 日本で飛行させたいという思いで実現したというもの。
発見後収蔵されていましたが 1990年代初頭レストアが開始され 3000KM
飛べるようになり 現在アラスカアンカレッジに保管 整備されている「飛べるゼロ
戦5機」のうちの一機。
支那事変初期の皇紀2600年に採用され 軍用機は皇紀年の下二桁を名称に冠することとなっていたことから「ゼロ戦」となり 約一万機製造された艦上式戦闘機。
「ゼロ戦」は 二度とあってはならない悲しい歴史を背負っていますが 当時の日本が
世界に誇る戦闘機製造の技術を持っていたことは 誇ってよいのではないでしょうか。
平成28年2月1日

平成28年 皇紀2676年

謹んで新年のお慶びを申し上げます
町内の氏子として 氏神様をお祭りし新年を迎えることができました。
今年も多くの参拝者に おみくじを引いてもらいました。
さてこのおみくじ漢字で書ける人がほとんどいないと思えるほど難しい。起源は古代において 国の祭政に関する常用な事項や後継者を選ぶ際に「神の意志」の吉凶を占うために引く「くじ」であったとか。
おみくじの縁起の良い順番はご存じの事と思いますが 町内の神明社は神社本庁に同じで「大吉 吉 中吉 小吉 末吉 (凶 大凶)」となっています。
吉凶の結果は 自分が「神の意志」をどうとらえるかであり 大吉は「心せよ」 凶は「これから上向き」人生山あり谷ありです。
大勢の人が 笑顔でおみくじの細部まで読んでおられる姿を見ることができた三が日でした。
平成28年1月13日

12月23日

今日は 今上天皇の誕生日です。
と同時に いわゆるA級戦犯と言われた人が絞首刑となった日でもあります。
敗戦後 GHQは人道に反する「嫌がらせ」ともいえる事を講じました。
昭和21年4月29日・・・昭和天皇誕生日にA級戦犯28人を起訴
昭和21年11月3日・・・明治天皇誕生日に日本国憲法公布
昭和23年12月23日・・今上天皇誕生日の午前零時1分に 7人の戦犯に米軍捕虜服を着せ絞首刑
日本人として忘れてはならない日に 敗戦国への戒めとばかりに このような蛮行を行いました。
平成27年12月18日

女性が働くこと

一億総活躍社会と銘打った政策が発表されました。
総務省の「平成24年就業構造基本調査」に 子供を抱えた25歳から44歳までの女性の就業率が掲載されています。
この就業率に対し総務省はコメントしていませんが 民間のサイトが「働くお母さんが多い都道府県第一位は島根県 二位は山形県 三位は福井県で上位は日本海側に集中 理由は三世代同居世帯が多く 家族の協力が得られるため就業率が高い」とコメントしています。
一方就業率ワースト都道府県は一位神奈川県 二位兵庫県 三位埼玉県 四位千葉県 五位大阪府・・・」と 都市部並びに周辺のベッドタウンとして栄える 核家族世帯の地域が目立ちます。
このコメントを額面通りには受け取れませんが しかし 何故「就業率ワースト」と表現するのでしょうか?
家庭の外で働く女性が少ない県 いわゆる専業主婦の多い県が何故「ワースト」なのでしょうか? 
一億総活躍時代「女性が輝く時代」とは「就業せよ」ということでしょうか?
老若男女が 自分の役割を果たすことこそ「輝く」ことであり 活躍なのではないでしょうか。
平成27年12月10日

日本列島の誕生

今から約3600万年前~約2500万年前の時代 日本列島は影も形もなかった。
幾度の火山活動、地殻変動、氷河期を経て 約15万年前日本列島の原型ができる。しかしユーラシア大陸と陸続きで 日本海は巨大な湖であった。
約1万年前の「沖積世」の時期に現在の「日本列島」が形成され 陸から離れこれが概ね縄文時代(約1万年前から紀元前300年頃)の始まりとなったとのこと。
現在日本列島で 約2万年前の港川人や約1万年前の三ヶ日人・浜北人の人骨が発見さているという事実は 縄文人は大陸から切り離された人たちと考えられるのではないでしょうか?
我々が 日本のこと世界のこと歴史のこと等を考える際 自ずと海に浮かんだ現在の日本列島の形が頭にあることが否めません。しかし1万年前まだ日本列島は陸続きであったことを認識しておくべきと思います。
平成27年11月10日

日本で貨幣が流通したのは、708年の銅銭「和同開珎」と言われています。
以後貨幣が流通していたにもかかわらず 不思議なことに 税である年貢の支払いが米であり 武士社会においても 武士の給料(俸禄)が米で支払われていたのは何故でしょうか。
私のお気に入りのブログが答えを教えてくれました。
理由 通貨は「貯めることができる」が 米は「貯めることができない」から。
貨幣経済という観点からすれば 貨幣は富であり 富という欲望は衝突もしますが富を得ようという社会活動は活発になります。
結果 大金持ちの「貯めることができる」貨幣は社会に流通しなくなり 貧富の差が拡大するという一面があります。ところが米は「貯めるに」は広い保管場所が必要であり 古くなれば虫害が発生し傷んでしまいます。主食である米は食べれば当然無くなり 次々と生産していかなければならないものです。
ですから米は 人々が生産し続けなければならないもので 働くこと 作ること 共同することを大切するという米社会を作ることとなり 通貨は日常の支払いには使用するけど 経済は米本位制という体制が続いたというものでした。
平成27年11月2日

特攻隊

10月21日は 本居宣長の歌「敷島の大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花」から命名されたという「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」計24機のゼロ戦 神風特別攻撃隊が フィリピンマバラカット基地から出撃した日になります。
悪天候に阻まれながらの出撃が続き 敷島隊の関大尉が米護衛空母セント・ローに突入したのが10月25日。
特攻を論ずることは難しい。
特攻で殉じた若者たちは 戦争が悲惨であり 理不尽なものであることを承知の上で 決意し 戦い抜き 逝ったであろうと思うと 敬意と謝意を表さずにはいられません。
マバラカット飛行場跡には 神風を顕彰し「第二次世界大戦において 日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場」との銘が刻まれ建立されているとのこと。
平成27年10月28日

氏神様

町内の 神社の氏子総代の役を受けて2年がたちます。
町内の神明社の祭神は天照大御神 木花開耶姫命 日本武尊 で養老年間(714年~724年)創建といわれ 子供の頃はかくれんぼ 虫取り 小学校の通学団の集合場所として馴染んだ神社です。
昔は 確かにほぼ血縁関係による氏子でしたが 時代が経て この地に住居を構え 生活する無信仰者も増え さらに他の信仰者もあり 神社の運営に関心を持つ人が少なくなっているのが現状です。
近々予定の秋祭りを含め 年5回の祭事は 長老となる氏子が中心になってやっています。 この先祭事の意味を子供たちに広め 大勢の氏子によって子々孫々まで維持
継続され この地域の平和と安寧を願う鎮守の森であってほしいと願っています。
平成27年9月17日

鉄砲を捨てた日本

1543年(ペリー来航の310年前)種子島に伝来した鉄砲。
その鉄砲を参考に八坂金兵衛が複製を作り その製造が瞬く間に全国に広がり 石山本願寺の軍は1570年の織田信長との戦いに8000挺を用いたといいます。その織田信長は1575年の長篠の戦で3000挺を3分隊に分け武田軍騎馬隊を打ち破り 飛び道具鉄砲による合戦は 鉄砲さえ大量に持っておれば素人軍団でも勝てるという 従来の戦法を激変させました。
資料によれば 16世紀末の日本の鉄砲保有数は世界一であり 合戦の主役となっていきます。ところが天下統一を果たした徳川幕府は 鎖国とともに 町民や農民でも武士をたやすく殺すことができる物騒な武器は 天下泰平の世に不要であると 鉄砲の製造を禁止し 鉄砲鍛冶は刀鍛冶へと転職することとなります
鉄砲の世になっては 武士道が崩壊してしまうという危機感もあったからこそ 鉄砲を捨てたのではないでしょうか。
最新兵器の鉄砲を捨て 刀剣の世に戻した国があったでしょうか 徳川幕府はすごい!
平成27年9月8日

盆おどり

お盆の時期 お寺の境内や公園で盆踊りが催されます。
盆踊りは約1000年に及ぶ歴史があり 先祖たちが目 耳 口 身振りなど「体」で記憶し 伝えてきたもので「昔話」と似たところがあるようです。
調べてみると もとは平安時代の踊りながら念仏を唱える「踊念仏」なるものが「盂蘭盆会」と結びつき 先祖や死者を供養するための踊りとして定着してきたとのこと。
「東京音頭」「炭坑節」「ソーラン節」が盆踊りの定番でしたが 今や「マツケンサンバ」「ドラエモン音頭」「イエローサブマリン」「あられちゃん音頭」と様変わり。
レクリエーション化してしまった「盆踊り」に ご先祖様は喜んでおられるのか ビックリしておられるのか?
平成27年8月11日

蝉時雨

連日続く猛暑の朝 蝉の声「蝉時雨」で目が覚め 「あ~あ~今日も暑くなるな~」と暑い夏をますます暑くする夏の風物詩ですが 少し憂鬱にもなります。
蝉は時に一斉に鳴き始め 時には一斉に鳴きやみます。この蝉の声の様を 急に降り出し 急にやむ「時雨」にたとえた「蝉時雨」は 音を感じる趣があります。
盛夏の時期に連日続くやかましい蝉時雨ですが 蝉の命は儚く「夏の終わり」を予感しているのでしょうか。
蝉しぐれの喧騒が一段落し ツクツクボウシやヒグラシの落ち着いた鳴き声に変わる頃には 暑い夏の峠が超えることでしょう。
平成27年8月7日

雲太 和二 京三

思い立って出雲大社へ行ってきました。
国譲りの条件にと 天照大御神に巨大神殿を作らせた 大国主命。
その巨大神殿を 平安時代の俗謡で「雲太 和二 京三」と謡われたとあります。
そのころの国内の巨大建築物の高さのベスト3を指し
第3位が 京の大極殿
第2位が 奈良の東大寺大仏殿(46M)
第1位が 出雲の大社本殿(伝説では48M 現在は24M)
その高さを証明するがごとく 鎌倉時代の本殿設計図のとおり 三本組の柱が本殿敷地から発掘され 48メートルの巨大神殿が実証されました。
「俗謡」は「口遊み」であり「多くの人の口にのぼること」とあります。
「うわさ」とは違い事実なんですね。
平成27年8月3日

七夕祭り

七夕は ご存知の通り 織姫と牽牛が一年に一度 天の川を渡って会う事が許された日。
ところが 日本には古くから「棚機(たなばた)」と呼ばれる禊の神事があったそうです。秋の収穫の前 選ばれた乙女が「棚機女」となって 禊をし 穢れを祓った後 機屋にこもり「棚機」(たなばた)という道具を使い機織りをしたそうです。
できた布を神様に奉納 そこに神様をお迎えし 皆で豊作を祝ったという神事です。
中国の故事である 織姫と牽牛の物語は仏教伝来と同じ六世紀頃 日本に伝わり   男女が一年に一度出会うというロマンチックな物語を 渡来した仏教側が 日本の「棚機」の神事を 「お盆にご先祖の御霊を迎える準備」に変えて行うようになったとのことです。 織姫牽牛の物語「七夕(仏教)」が 古式神事である「たなばた(棚機)」と入り混じったものになったということです。
まったく異なるものを 皆が楽しむ「七夕祭り」に昇華してしまうというのは 実に日本的と思います。
平成27年7月6日

沖縄戦終結の日

6月23日は大東亜戦争の沖縄戦終結の日です。
同年3月26日 総勢約50万を超える連合軍が 日本本土攻撃の拠点とすべき沖縄に攻撃を開始 迎え撃つ約11万人の日本軍。
将兵民間人18万人余りが亡くなり「本土の犠牲」と言う沖縄ですが 東京大空襲はじめ大阪 名古屋など日本全国の主要都市が攻撃を受け何10万の民間人が亡くなるという壊滅状態にあるなか 約3300人乗艦の戦艦大和出撃 約1800機の神風特別攻撃隊出撃 人間魚雷「回天」による攻撃を行い 沖縄を守ったと思います。
沖縄はサンフランシスコ条約により米国の統治下となるものの 27年後の1972年に日本復帰となりました。
返還前の1963年に開催された東京オリンピックにおいては 米統治下であるにも関わらず 日本は沖縄でオリンピック中継が視聴できるよう海底マイクロケーブルを敷設 さらに聖火リレーを沖縄からスタートさせたことはあまり知られていないのではないでしょうか。
平成27年6月26日

なでしこ

なでしこジャパン 決勝トーナメント進出決定。
女子サッカー ワールドカップカナダ大会で連覇を目指す日本女子代表は「なでしこジャパン」と呼ばれています。
この愛称は日本サッカー協会が一般公募した中から 清楚で凛とした美しさを持つ日本女性を讃える「大和撫子」にちなみ「なでしこ」が採用されたとのこと。
で「大和撫子」を調べてみました。
「大和撫子」は なんと須佐之男尊が八岐大蛇退治で助け 妃とした櫛名田比売の別名。
古事記では 妃の親は大山津見神の子で 父が足名椎(あしなづち)母が手名椎(てなづち)といい 両親の名が表わすように娘櫛名田比売の足を撫で 手を撫でし 愛しみ育てたところからついたとの解説があります。
そしてもちろん花のナデシコがあり 秋の七草に入る親しみのある花です。
思いの詰まった「なでしこジャパン」優勝してほしいものです。
平成27年6月22日

初鰹

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
あまりにも耳慣れた俳句
目にも鮮やかな「青葉」
美しい鳴き声の「ほととぎす」
食べて美味しい「初鰹」と
江戸っ子が最も好んだものが並んでいますが 初夏に出回る「初鰹」を食するのが粋の証であり 季節を感じ 季節の旬の生命力を頂くという大きな喜びであり 縁起の良さがあります
「鰹」なら当然「刺身」か「たたき」にして 冷酒とともに 感謝しつつ
平成27年5月11日

鯉のぼり

五月の空に映える鯉のぼり 江戸時代に武家で始まったとか
「鯉の滝登り」とは 中国後漢書の故事で 黄河の急流にある登竜門と呼ばれる滝を 多くの魚が登ろうと試みたが 鯉のみが登りきり竜になる事ができたことにちなみ 立身出世の象徴といわれることとなりました
困難な滝を登りきり竜になるよう 我が子が健康に育ち 将来大きく出世して欲しいとの気持ち そして「我家に男の子が生まれました どうぞお守り下さい」と天の神様に伝える意味もあるそうです
屋根より高い竿の先に回転球その下に矢車 吹流しを一番上に お父さんの真鯉
お母さんの緋鯉 そして子鯉たち
柏餅に使う柏の葉は 新しい葉が出るまで古い葉が落ちないということから 親から子へ代が途切れないようにと 子孫繁栄の意味があるそうです
先般 東京へ行く機会がありました 名古屋から東京までの新幹線の車窓から 元気に泳ぐ鯉を見つける事が出来ました
日本の国旗
平成27年5月1日

ゴールデンウイーク

ゴールデンウイークが近づくにつれ マスコミ等では行楽シーズン到来とばかりに ここが良いとか あそこが良いとか 一億総行楽を煽る芸能人総動員のリポート。
日本にとって重要な意味ある「日」を祝うゴールデンウイーク 意味ある「日」に関心が向かないよう 歓楽に仕向けていると思うのはへそ曲がりでしょうか
4月28日・・
サンフランシスコ条約発効
4月29日・・
昭和の時代の4月29日は「天皇誕生日」
昭和天皇のご崩御により年号が「平成」に改まり 12月23日が「天皇誕生日」となりました 
昭和天皇が自然をこよなく愛されたことにちなみ 4月29日を「昭和の日」とし 5月4日を「みどりの日」
5月 3日・・
1946年11月3日公布の翌年 日本国憲法施行日
5月 5日・・
こどもの日 子の幸福を願い 母に感謝する日
平成27年4月24日

4月28日

日本は1945年9月2日 東京湾上のミズーリ号艦上にて休戦協定に調印し「連合国統治領日本」となり 以後連合国は 約7年半に及ぶ日本占領政策(WGIP)により 日本解体を行いました。
その後1951年9月8日のサンフランシスコ講和会議で 連合国各国と講和の調印を経て 1952年4月28日サンフランシスコ条約発効となり 日本国の主権が回復。
連合国は長期間にわたり日本を占領下に置くつもりでしたが 1950年6月の朝鮮戦争勃発を機に 日本を共産圏の防波堤にすべしとの方針転換を行ったため 日本主権を認めたといわれています
終戦の8月15日も記憶しなければならない日ですが 4月28日こそ盛大に式典を行うべきではないでしょうか
平成27年4月17日

ASEAN

外務省がASEAN11カ国(ブルネイ カンボジア インドネシア マレーシア
ラオス ミャンマー フィリピン シンガポール タイ ベトナム 東テイモール)
の約2100人に面接を行い 日本を含む調査対象国11カ国(英 米 仏 豪 独 中国 韓国 露 インド ニュージーランド)に対する意識調査の結果を発表
  1. 対象国の中で信頼できる国はどこですか
    フィピリンとシンガポールを除くすべての国が 日本は信頼できる国と評価
    特にインドネシアは71%が 信頼できる国と回答
  2. 日本についての関心
    科学技術に最も関心あるのが フィリピン マレーシア ベトナム
    生活様式・考え方には ほとんどの国の半数以上が関心を示している
    食文化に最も関心を示しているのが シンガポールとベトナム
  3. ASEANと日本の関係
    すべてのASEAN各国の半数以上が 日本と友好関係を保つべきだという意見
    特にフィリピン ベトナム イントネシアは70%超
詳細な数値やその他の調査結果は 外務省のホームぺージにありますが 面接調査対象国と調査対象国に意味があると思います
日本の 日本人の言動を 識者やマスコミは何かにつけ「アジア諸国が反発する」と言いますが 反発する国がASEAN諸国に無いことは 喜びであります
平成27年4月8日

ペリリュー島のサクラ

今月天皇皇后両陛下がご訪問される パラオ共和国 そのパラオ共和国について少しパラオはグアムから南へ飛行機で約2時間 日本の真南約3200キロに位置し 大小200余りの島々からなる マレー系を中心に1994年に独立したわずか2万人の国。
第1次世界大戦後から大東亜戦争終了までの約30年間 日本の委任統治が行われ 委任統治時代は 台湾、朝鮮の統治と同様 インフラ整備をはじめ教育制度や医療制度を整備し 生活水準の向上が押し進められました
大東亜戦争開戦直後 日本は太平洋防衛圏上の拠点ということで パラオのペリリュー島に二本の滑走路を持つ飛行場を建設
しかし大東亜戦争終盤 サイパン テニアン グアムを手中に収め日本本土進攻の拠点とした米は フィリピン奪還を果たすため飛行場のあるペリリュー島奪取が必要になり 米太平洋艦隊最高司令官ニミッツ提督率いる45000人が攻撃開始 迎え撃つは水戸第二連隊中川陸軍大佐率いる日本軍10500人
島民を避難させた9月からの攻撃に 2か月半耐えた地下陣地要塞もほぼ壊滅 昭和19年11月下旬 司令部は玉砕決定を伝える「サクラ サクラ」を本土に送信し 突撃攻撃敢行
島民が日本軍将兵の勇気と敢闘を称え作詞作曲した「ペリリュー島の桜を讃える歌」が歌い語り継がれているとのこと
平成27年4月1日

梅の花が咲き始めました。
「松 竹 梅」というと 梅は3番目という印象ですが
「松」は冬の寒さの中でも緑色を保つ
「竹」は風雪の中でも折れることなく立っている
「梅」は寒さの中で他の花に先駆けて 良い香りとともに美しい花を咲かせる
御膳のランクではなく ちゃんとした意味でした。
「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」という俳句がありますが 「寒さの中梅が一輪咲いた」「寒い冬にその一輪の梅くらいの暖かさを感じる」という 春の訪れと冬の寒さの中に暖かを感じる という二通りの意味にとられているようです。
いずれの意味からも 明るさを感じ さくらが待ち遠しいです。
平成27年3月10日

桃の節句

端午の節句しか経験のない我が家が 桃の節句を迎えます。
雛祭りの雛はもともと雛形のことで 人間の雛型という意味だそうです。
古の人々は 人形を作り その人形で体を撫で 自分の病や罪・穢れを背負わせ 川に流し祓い清め 健康や安寧を祈る行事を行っており これが雛祭りの始まりだそうです。
また「桃の節句」と言われるのは 桃は昔から邪気を払う力があり 邪気の象徴である鬼を退治するということで これが土台となり 桃から生まれた桃太郎の民話が誕生したといわれています。
古事記では イザナギがイザナミを連れ戻すために行った黄泉の国から逃げ帰るとき
追いかけてくる黄泉醜女に 死の穢れを清める桃の実を投げつけ 無事甦ることができ 悪霊を払うとあります。
日本の伝統 古事記に繋がる行事であることを 引き継いでいくとともに 雛人形を作る職人 技術が絶えないことを願うばかりです。
平成27年3月3日

江戸時代

年末年始のテレビ番組で江戸時代の特集がいくつか放映され 興味半分で見ていましたが 結構引き込まれてしまいました。
江戸時代と一口に行っても 戦乱の世を終わらせ天下安寧を目指し 1603年徳川家康が幕府を開き 第15代将軍徳川慶喜まで続いた264年間。江戸時代は 飛鳥時代から見て 平安時代の約390年間に次ぐ長さです。
江戸時代の遺跡が 何処に残りまた生かされているのか 現代と比べれば明らかに便利で快適ではないけれど 平安で民が豊かに暮らし 文化が栄えていたことがうかがえ その理由を知りたくなり興味を持ちました。
学校教育では 何々があった 何々をした という事象を覚えるのみで 何故そうなったかという理由を勉強した記憶がありません。
遅まきながら勉強しようと思いますので お薦めの本がありましたら ぜひご紹介ください。
平成27年2月16日

建国記念の日と国旗

私は 祝祭日に国旗を掲揚しています。
しかし見渡す近隣では ほとんど国旗を掲揚していません しかも確か公務員のお宅のはずといった家でも。
過去の戦争の残影をひきずっており 掲揚するのは軍国主義的で右翼であるとか 科学的でない神話で国の起源を定めるのは可笑しいとか が掲揚されない理由のようですが・・・。
日本国民が国の祝祭日を祝って 国旗を掲揚するのは極めて自然な姿であり 世界中を見てもごく普通の有り様だと思います。
この国旗 日の丸のデザインを気に入ったフランス政府が 明治政府に 当時の金額で500万円(現在の2億円相当)で売ってほしいと言ってきたそうです。
明治政府は 「国旗を売り渡すことは 国家を売り渡すこと」と 申し出を断ったそうです。
また 日本人の生き様に憧れ「日の丸」を意識した国旗を作った国があります。
今春 天皇皇后両陛下がご訪問される ミクロネシアのパラオ共和国です。
日本が 第一次世界大戦後以後大東亜戦争終了までの間 日本国 日本人同様に委任統治したところ。米から独立の際 一般国民から公募した中から 一番人気のあった海を表わす青地に中心を外した月「月章旗」を採用。
また バングラデッシュも 国旗制定にあたり日の丸を参考にし 赤い円は昇り行く太陽を表わし 緑の地は大地を表わしているといいます。
あまり頑なにならず 素直に祖国郷土を愛し 掲揚しようではありませんか。
日本の国旗
平成27年2月10日

おかげさま

平成27年 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

平成22年から始めた ホームページの所長便り。
何を書こうか
こんなことは書かないほうが良いのではとか
全く何も思い浮かばないとき
良い題目で まとまったとき
などなど 様々な状況の中「おかげさま」で6年目を迎えました。
私の仕事の一部と思い書いてきましたが 「古事記」と出会ったのが続けてこられた最大の理由と思います。
この「おかげさま」という言葉 まさしく「陰」。
「陰」は太陽がなければありません。
「おかげさま」は太陽「太陽神 天照大御神」に感謝する意味になります。
「神様ありがとう」と直接言ってもいいものを「おかげさま」 という日本人らしさが嬉しくなりました。
本年もよろしくお願いいたします。
平成27年1月5日


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